平山洋(静岡県立大学国際関係学部助教授)は、その著「福沢諭吉の真実」(2002年 文芸春秋社刊)において、見事な推理で「『福沢諭吉全集前21巻』のうち諭吉の著作は約半数であり」、第8巻から第16巻までの9巻は、諭吉の弟子である石河幹明が「自分で執筆した論説を大量に、『福沢全集』の『時事論集』に採録し」、「それをもとに『福沢諭吉伝』第3巻を著したのであった」と大胆に結論している.
しかし、その「見事な推理」と「大胆な結論」が正しいかどうかの判断には、客観的な検討が必要である.
平山は、その著書「福沢諭吉の真実」の中で、石河幹明は「自分で執筆した論説を大量に、『福沢全集』の『時事論集』に採録し」たが、石河が「論説」をいつ書いたかについて、以下の2つの時期をあげている.
① 石河は、1885年4月から1922年5月までの間「毎日南鍋町の新聞社に出勤し、論説を書き続けていた」(同書147ページ)
② 「石河が『時事新報』で論説を担当していた」のは「1887年から1922年まで」(同書149ページ)
ここには、推理の根拠の不一致が見られる.「名探偵」は、これを見落としたのだろうか?
2007年11月22日木曜日
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1 件のコメント:
もちろん見落としではないですよ。拙著75頁をご覧ください。
続福沢全集の「付記」に、石河自らが、自分は1885年に入社して1887年頃から社説の担当になった、と書いているのです。
それから私の職位は「助教授」ではなく「助教」です。念のため。
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