2007年11月30日金曜日

朝青龍 と 福沢諭吉(2)

2007年12月.「日本の国技・相撲」の横綱二人は、外国人です.

これは、「明治維新」と「戦後」の2つの時代を経て「島国」から「国際化」への道を進んだ日本が、さらに「島国性の脱却」から「独立国としての国際化」への段階に入りつつあるという意味で、よいことです.

明治維新、日本は「開国」により「国際化」の一段階を進みました.
その国際化は、「国権の皇張」「国権の振起」「国権の維持」(いずれも福沢諭吉「時事小言」全集第5巻)として侵略戦争につながり、戦後は「憲法の軽視・無視」から「侵略戦争の無反省」および「米国のポチ」へ、さらには「憲法改正のうごき」と「財政・年金の破綻」の現在につづき、第2の段階の終わりに近づいています.

明治維新、諭吉は「『内安外競』、わがはい(自分のこと)の主義、ただこの4文字にあるのみ」といいました.(1871年「時事小言」全集第5巻)

「内安」とは、「天皇」(注1)と「宗教(ヤスクニ神社)」(注2)を利用して、ダマシで国内を「安定させること」です.「外競」とは、「戦力を蓄え、『大砲にモノを言わすこと』」(注3)です.

(注1)天皇について、諭吉は「愚民を篭絡(ろうらく.だますこと)するの一欺術(ダマシの手段)」(1889年「帝室論」全集第5巻)といっている.

(注2)「東京招魂社」が「ヤスクニ神社」と改称したころ(1879年)、諭吉は「バカとカタワと宗教、ちょうどよき取り合わせ」(1881年「宗教の説」全集第20巻)といっている.

(注3)「万国公法(国際ルール)は、数門の大砲にしかず」(「時事小言」)

諭吉の願望は実現し、国民はだまされて日清・日露戦争へと突入させられました.
夏目漱石は、日露戦争を冷ややかな目でみていますが、司馬遼太郎は、日露戦争で大もうけをしました.

諭吉は、日清・日露戦争で自分の新聞「時事新報」の発行部数をのばし、「お金」をもうけました.「マッチで放火し、火事でもうける」方式を大々的に実行したのです.

「日本一の金持ちとなること」が諭吉の「15,6歳のころ」の「希望」でした(「福翁自伝」)が、これを実現したのです.これらの戦争は、やがて対中侵略戦争から太平洋戦争へと進みます.

戦後、アジアで2000万人、全世界で数千万人の犠牲を出した戦争の反省として「戦争をしない」「戦力をもたない」憲法がつくられました.しかし、米国の要求により、憲法の軽視・無視が継続され、2007年の現状として、年金/財政の破綻・社会福祉の切り下げ・増税へとつながっています.

この現状を覆い隠すために、諭吉は「偉人」として「10000円札の肖像」になり、「お金の神様」「国民と政府の『師匠』」として、あがめられています.

諭吉は、「お金をもうけること」が希望でしたから、国民をだましてでも、戦争を利用してででも、十分満足していることでしょう.しかし、「国技・相撲」の「横綱二人が外国人である」ことにも例があるように、「開国し、虚勢をはった島国」「アメリカのポチとしての島国」から「国際社会の中での『調和した島国』」への日本の変身は始まりかけています.

諭吉とカナダの「慰安婦」決議

「日本政府は真摯な謝罪を」カナダの下院が全会一致で決議しました.(2007年11月28日)

アジア太平洋戦争時に、旧日本軍が侵略先の女性たちを性奴隷にした日本軍「慰安婦」問題で、日本政府に真摯(しんし)な謝罪を求める、米(7月)、オランダ(今月)に続く決議です。旧政府の犯罪を現政府が否定して、忘れたふりをする.それは通用しないことを国際社会が示したのです.

戦後50年以上たった現在でも、日本では過去の侵略戦争の責任を隠す動きがつづいています.
「沖縄住民に対する集団自決の強制」や「従軍慰安婦」の記述を歴史から消したいという希望は、反省のあらわれでしょうか? 「はずかしい」という認識がある証拠なのでしょうか?

「自分は、国民と日本政府の影の師匠だ」と自認した諭吉(注)は、この現象をどう理解するでしょうか? 

(注)「福沢諭吉全集発刊によせて」で、小泉信三は「諭吉は、日本人が諭吉の著書を読んで『新知識を得た』し、また、自分が『暗に政府のお師匠(ししょう)さまたりしことは古老(ころう.老人である自分)の今に忘れざるところなり』と放言したことがある」とのべています.

この師匠は、「遠慮(えんりょ)なくアジアを押領(おうりょう)して、わが手をもって新築するも可なり」とのべています.(「時事小言」福沢諭吉全集第5巻)

沖縄住民に対する「集団自決」の強制、「慰安婦」という「人身売買と性的奴隷化」を生み出した日本に責任のある過去の戦争は、「遠慮なくアジアを押領する」教えにもとづいていました.「天皇」や「宗教(ヤスクニ神社)」を利用し、国民をだます「教え」だったのです.(注)

(注)諭吉は、次のようにのべています.

「国のためには、財を失うのみならず、一命(いちめい.いのち)をもなげうちて惜しむにたら」ない(1872年「学問のすすめ」第3編 全集第3巻)

「馬鹿(バカ)と片輪(カタワ)に宗教、丁度よき取り合わせ」(1881年「宗教の説」全集第20巻)

天皇は、「愚民を篭絡(ろうらく)するの一欺術」(1889年「帝室論」全集第5巻)



この「師匠」の「教え」は、「反省」を求めてはいません.
「反省の欠如」─ これは、「師匠の教え」を「十分に理解していない」ためでしょうか?
それとも、「教え」自体が「お金が一番」の考えにもとづいているからなのでしょうか?

ちなみに、諭吉は、「15,6歳のころ」「日本一の金持ちになりたい」(「福翁自伝」)といっていました.諭吉は、自分が発行した新聞「時事新報」で、戦争を「すすめ」、戦争報道で発行部数をのばし、それで「お金」をもうけたのです.

その結果、「お金の神様」として10000円札の肖像とされ、「戦争犯罪無反省」の宣伝として利用され、その結果が与党・野党第一党の「憲法の軽視・無視」となり、「年金・財政の破綻」「憲法9条改正」から「米国の戦争政策への協力」「戦争をする国」、それによって、利権者と与党・野党の一部が「お金をもうける」もととなっているのです.