2007年12月.「日本の国技・相撲」の横綱二人は、外国人です.
これは、「明治維新」と「戦後」の2つの時代を経て「島国」から「国際化」への道を進んだ日本が、さらに「島国性の脱却」から「独立国としての国際化」への段階に入りつつあるという意味で、よいことです.
明治維新、日本は「開国」により「国際化」の一段階を進みました.
その国際化は、「国権の皇張」「国権の振起」「国権の維持」(いずれも福沢諭吉「時事小言」全集第5巻)として侵略戦争につながり、戦後は「憲法の軽視・無視」から「侵略戦争の無反省」および「米国のポチ」へ、さらには「憲法改正のうごき」と「財政・年金の破綻」の現在につづき、第2の段階の終わりに近づいています.
明治維新、諭吉は「『内安外競』、わがはい(自分のこと)の主義、ただこの4文字にあるのみ」といいました.(1871年「時事小言」全集第5巻)
「内安」とは、「天皇」(注1)と「宗教(ヤスクニ神社)」(注2)を利用して、ダマシで国内を「安定させること」です.「外競」とは、「戦力を蓄え、『大砲にモノを言わすこと』」(注3)です.
(注1)天皇について、諭吉は「愚民を篭絡(ろうらく.だますこと)するの一欺術(ダマシの手段)」(1889年「帝室論」全集第5巻)といっている.
(注2)「東京招魂社」が「ヤスクニ神社」と改称したころ(1879年)、諭吉は「バカとカタワと宗教、ちょうどよき取り合わせ」(1881年「宗教の説」全集第20巻)といっている.
(注3)「万国公法(国際ルール)は、数門の大砲にしかず」(「時事小言」)
諭吉の願望は実現し、国民はだまされて日清・日露戦争へと突入させられました.
夏目漱石は、日露戦争を冷ややかな目でみていますが、司馬遼太郎は、日露戦争で大もうけをしました.
諭吉は、日清・日露戦争で自分の新聞「時事新報」の発行部数をのばし、「お金」をもうけました.「マッチで放火し、火事でもうける」方式を大々的に実行したのです.
「日本一の金持ちとなること」が諭吉の「15,6歳のころ」の「希望」でした(「福翁自伝」)が、これを実現したのです.これらの戦争は、やがて対中侵略戦争から太平洋戦争へと進みます.
戦後、アジアで2000万人、全世界で数千万人の犠牲を出した戦争の反省として「戦争をしない」「戦力をもたない」憲法がつくられました.しかし、米国の要求により、憲法の軽視・無視が継続され、2007年の現状として、年金/財政の破綻・社会福祉の切り下げ・増税へとつながっています.
この現状を覆い隠すために、諭吉は「偉人」として「10000円札の肖像」になり、「お金の神様」「国民と政府の『師匠』」として、あがめられています.
諭吉は、「お金をもうけること」が希望でしたから、国民をだましてでも、戦争を利用してででも、十分満足していることでしょう.しかし、「国技・相撲」の「横綱二人が外国人である」ことにも例があるように、「開国し、虚勢をはった島国」「アメリカのポチとしての島国」から「国際社会の中での『調和した島国』」への日本の変身は始まりかけています.
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