2007年11月30日金曜日

諭吉とカナダの「慰安婦」決議

「日本政府は真摯な謝罪を」カナダの下院が全会一致で決議しました.(2007年11月28日)

アジア太平洋戦争時に、旧日本軍が侵略先の女性たちを性奴隷にした日本軍「慰安婦」問題で、日本政府に真摯(しんし)な謝罪を求める、米(7月)、オランダ(今月)に続く決議です。旧政府の犯罪を現政府が否定して、忘れたふりをする.それは通用しないことを国際社会が示したのです.

戦後50年以上たった現在でも、日本では過去の侵略戦争の責任を隠す動きがつづいています.
「沖縄住民に対する集団自決の強制」や「従軍慰安婦」の記述を歴史から消したいという希望は、反省のあらわれでしょうか? 「はずかしい」という認識がある証拠なのでしょうか?

「自分は、国民と日本政府の影の師匠だ」と自認した諭吉(注)は、この現象をどう理解するでしょうか? 

(注)「福沢諭吉全集発刊によせて」で、小泉信三は「諭吉は、日本人が諭吉の著書を読んで『新知識を得た』し、また、自分が『暗に政府のお師匠(ししょう)さまたりしことは古老(ころう.老人である自分)の今に忘れざるところなり』と放言したことがある」とのべています.

この師匠は、「遠慮(えんりょ)なくアジアを押領(おうりょう)して、わが手をもって新築するも可なり」とのべています.(「時事小言」福沢諭吉全集第5巻)

沖縄住民に対する「集団自決」の強制、「慰安婦」という「人身売買と性的奴隷化」を生み出した日本に責任のある過去の戦争は、「遠慮なくアジアを押領する」教えにもとづいていました.「天皇」や「宗教(ヤスクニ神社)」を利用し、国民をだます「教え」だったのです.(注)

(注)諭吉は、次のようにのべています.

「国のためには、財を失うのみならず、一命(いちめい.いのち)をもなげうちて惜しむにたら」ない(1872年「学問のすすめ」第3編 全集第3巻)

「馬鹿(バカ)と片輪(カタワ)に宗教、丁度よき取り合わせ」(1881年「宗教の説」全集第20巻)

天皇は、「愚民を篭絡(ろうらく)するの一欺術」(1889年「帝室論」全集第5巻)



この「師匠」の「教え」は、「反省」を求めてはいません.
「反省の欠如」─ これは、「師匠の教え」を「十分に理解していない」ためでしょうか?
それとも、「教え」自体が「お金が一番」の考えにもとづいているからなのでしょうか?

ちなみに、諭吉は、「15,6歳のころ」「日本一の金持ちになりたい」(「福翁自伝」)といっていました.諭吉は、自分が発行した新聞「時事新報」で、戦争を「すすめ」、戦争報道で発行部数をのばし、それで「お金」をもうけたのです.

その結果、「お金の神様」として10000円札の肖像とされ、「戦争犯罪無反省」の宣伝として利用され、その結果が与党・野党第一党の「憲法の軽視・無視」となり、「年金・財政の破綻」「憲法9条改正」から「米国の戦争政策への協力」「戦争をする国」、それによって、利権者と与党・野党の一部が「お金をもうける」もととなっているのです.

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