「福沢諭吉全集 全1巻」の半数近くの自作による石河幹明の偽作を見破った名探偵平山洋が、「犯人石河」の論説執筆期間について、「1885年~1922年」と「1887年~1922年」とを「勘違い」で間違えるはずがない.
それでは、間違いの原因は何であったのだろうか?
「福沢諭吉の真実」の著者よりは、とぼしい推理力で推理した結果は以下のとおりであった.
① 著者は、「諭吉の評価」がプラスとマイナスの2種類にわかれているとしている.
② 著者は、「時事新報論集」の「論説はもっぱら福沢批判者が、彼をおとしめる材料を探すために読んできたといってよい」(同書10ページ)と書いている.すなわち、諭吉に対する「批判」は諭吉を「おとしめる」ものであるとの「考え」あるいは「信念」をもっている.
③ この「考え」あるいは「信念」は、著者の「考え」を「諭吉への批判を批判する」方向へみちびく作用をおよぼす.
④ 石河は、福沢先生が時事新報創刊以来その紙上に執筆せられたる論説は約5000件あるべし」と書いている(同書68ページ).名探偵の推理は、5000というのは誤りで、実は石河が書いたものが大部分ということであるから、それをもっともらしく説明する必要がある.
⑤ そこで、「石河は『時事新報』在職の期間、せっせと論説を書いていたはず」と考え、つい「石河の在職期間」を紹介するときに、その間「毎日」論説を書いていたといってしまった.しかし、これは「文字どおりの毎日」ではなく、「文学的な強調表現としての『毎日』」である.
すなわち、「福沢諭吉の真実」の著者は、「研究者」ではなく、「文学者」としての能力を発揮したのである.そう理解すれば、この問題も理解できるし、この著書が娯楽物として楽しめるものになっていることも理解できる.
2007年11月22日木曜日
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1 件のコメント:
これも拙著75頁をご覧ください。⑤は石河自身が述べているのです。
それから147頁の「毎日」は、「出勤し」にかかります。「書き続けていた」ではなくて。
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