2007年11月22日木曜日

「福沢諭吉全集」 と 平山洋 (4)

「『時事新報論集』には『恐るべき言動』が含まれている」「中国人を『チャンチャン』呼ばわりした多くの「漫言」やら、日清戦争後に植民地となった台湾で蜂起した現地人を皆殺しにせよ、と主張する「台湾の騒動」(96.1.8)などの論説がある」

「私の考えでは、・・・『時事新報論集』はその大部分が無署名であり、大正版『福沢全集』(1925~26)と昭和版『続福沢全集』の編纂者であった弟子の石河幹明が・・・選んだものを、そのまま引き継いで収録しているに過ぎない.現行版『全集』(1958~64)の第16巻には福沢の没後数ヵ月してから掲載された論説が6編収められているのであるが、これらを本人(諭吉)がかけたはずがないのは言うまでもないであろう」(「福沢諭吉の真実」まえがき)

平山洋は、「福沢諭吉の真実」でこのように書いている.

「『時事新報論説』の大部分は無署名であり、6編は諭吉の死後の論説が収められている」(ので「時事新報論説」のすべてが諭吉が書いたものではない).平山が「まえがき」で主張しているのは、「諭吉の『批判者たち』は、諭吉が書いたものではない論説を含む「時事新報論説」をもとに諭吉の批判をしている」というものである.

この主張は、「死後に出された論説は、本人の書いたものではない」という普通のミステリー小説並の推理と、名作のミステリー並の表現、すなわち「『本人の死後出された論説は、本人の思想ではない』すなわち、『本人の思想とは大きくことなった他人の思想である』」と正確に書くことを避け、読者に同じ結論を出させる間接表現により、直接の「ウソ」を避けた方法による表現である. 

おそらく、平山は「福沢諭吉の真実」を書くにあたり、「厳格な検討をおこなうと、あまり研究者的でかたくなりすぎ、娯楽性をそこなう」という考えで、「諭吉の思想」と「時事新報論説の思想」の比較を軽くあつかい、「読者にわかりやすいこと」を重視したのであろう.

その結果、「福沢諭吉の真実」は、レベルの高いミステリーとして楽しむことができる読み物となっている.

1 件のコメント:

平山 洋 さんのコメント...

拙著をお褒めいただき、光栄に存じます。

『福沢諭吉の真実』の原型『時局的思想家福沢諭吉の誕生ー伝記作家石河幹明の策略』は、すでに拙サイトにて公開されております。

http://blechmusik.xrea.jp/d/hirayama/h30/00/#text_info

娯楽性は乏しいものですが、私がどのような考証をしたかについて、詳しく書いてあります。

ぜひご一読を。