2007年12月20日木曜日

諭吉とUFO

UFOとは、何かわからない飛行物を「地球外生命の宇宙船」と考える考え方による、「未確認飛行体」です.

この考え方は、物事の原因がわからないとき、たとえば宇宙をだれが作ったのかわからないとき、「造物主」なり「創造主」なりの「地球には存在しないもの」を仮定することにより、説明しようとする考えと同じです.この考え方は、宗教の起源であると考えられています.

福沢諭吉は、ヤスクニ神社ができたころ(東京招魂社が1879年に、「靖国神社」と改称)、「バカとカタワに宗教、ちょうど良き取り合わせ」といいました.(福沢諭吉全集 第20巻 「宗教の説」)

つまり、だれも死にたくないが、「死んでから立派な神社にまつられるのなら、それもよいだろう」と考える人がいるから、「お国のため、天皇のためなら死んでもよい」はずだと、教育し、宣伝するためには、宗教が必要である(ヤスクニ神社は、ちょうど良い)と考えたのです.

日清戦争(1894~1895)、日露戦争(1904~1905)の10年以上前に、ヤスクニ神社の本質を理解していた諭吉は、さすがに偉大であるというべきです.

このように、諭吉は「外に敵をつくること」が「税金を戦力として使い、軍事産業で大もうけをする」ことができるし、「宗教は、国民をだまして、戦争に引き込み、その間支配勢力が『お金をもうける』のが『政治』である」とも考えていたのです.福翁自伝によれば、諭吉は、15,6歳のころ、『日本一の金持ちになりたい』といっていたのです.

2007年12月、日本の防衛大臣は、「UFO対処を頭に入れるべき」と発言しました.地球上に平和の方向が強まると、「外に敵をつくるためには、宇宙人にたよることが必要である」というわけです.

この防衛大臣は、諭吉を教えを忘れていなかったというべきです.

(なお、この件に関しては、『い加減にした方がいい。政治には(ほかに)対応しなければいけないことがたくさんある』(自民党総務会長)との苦言も出ている」と読売新聞が伝えています)

2007年12月10日月曜日

会社全体に法令を遵守する精神に欠けていなかった諭吉の会社

諭吉の会社「時事新報」社は、社説や記事を通じて、台湾・朝鮮の植民地化を後押しし、これを推し進めました.

ここには、諭吉の歴史に対する理解「文明が野蛮を制し、他国・他民族の領土・資源・財産・生命・労働力・女性を自由にすること、これが国際ルールの上にたつ大砲の『法令』である.その中で『金儲けをすることこそ、天の定めたルールである』」(別項)との「独自の法令」もち、これを遵守していました.

京都嵐山を本店とする京料理・懐石料理・日本料理の料亭「京都吉兆」は、産地偽装・賞味期限の改ざんなどをおこなうことにより、商売をつづけ、伝統の屋号を守ろうとしました.

ここには、「金儲けとビジネスの生き残り」が法令に優先するという精神がありました.
「時事新報」の場合にも、同様です.(「時事新報」では、ビジネスの生き残りより、むしろ「金儲け」の動機の方が強かったと考えられます)

この「法令を遵守する精神に欠けている」生き方は、なぜ容認されてきたのでしょうか?

それは、戦後半世紀以上、政府与党・野党の一部が「憲法の軽視・無視」をつづけてきたこと、現在でもつづけていることが背景にあります.国全体が憲法を遵守しない中で、一企業・個人が法令を遵守することは、普通とはいえません.

その結果が、「産地偽装・賞味期限の改ざん」であり、「年金・財政の破綻」の現状です.

諭吉以来つづく、侵略戦争の肯定・「金をもうけのためには、人の命も、人間の尊厳も、ましてや自然の環境も、邪魔なものは『だましと大砲』で、とりのぞく」資本主義の論理こそが、産地偽装・賞味期限の改ざんなどの背景にあるのです.

2007年11月30日金曜日

朝青龍 と 福沢諭吉(2)

2007年12月.「日本の国技・相撲」の横綱二人は、外国人です.

これは、「明治維新」と「戦後」の2つの時代を経て「島国」から「国際化」への道を進んだ日本が、さらに「島国性の脱却」から「独立国としての国際化」への段階に入りつつあるという意味で、よいことです.

明治維新、日本は「開国」により「国際化」の一段階を進みました.
その国際化は、「国権の皇張」「国権の振起」「国権の維持」(いずれも福沢諭吉「時事小言」全集第5巻)として侵略戦争につながり、戦後は「憲法の軽視・無視」から「侵略戦争の無反省」および「米国のポチ」へ、さらには「憲法改正のうごき」と「財政・年金の破綻」の現在につづき、第2の段階の終わりに近づいています.

明治維新、諭吉は「『内安外競』、わがはい(自分のこと)の主義、ただこの4文字にあるのみ」といいました.(1871年「時事小言」全集第5巻)

「内安」とは、「天皇」(注1)と「宗教(ヤスクニ神社)」(注2)を利用して、ダマシで国内を「安定させること」です.「外競」とは、「戦力を蓄え、『大砲にモノを言わすこと』」(注3)です.

(注1)天皇について、諭吉は「愚民を篭絡(ろうらく.だますこと)するの一欺術(ダマシの手段)」(1889年「帝室論」全集第5巻)といっている.

(注2)「東京招魂社」が「ヤスクニ神社」と改称したころ(1879年)、諭吉は「バカとカタワと宗教、ちょうどよき取り合わせ」(1881年「宗教の説」全集第20巻)といっている.

(注3)「万国公法(国際ルール)は、数門の大砲にしかず」(「時事小言」)

諭吉の願望は実現し、国民はだまされて日清・日露戦争へと突入させられました.
夏目漱石は、日露戦争を冷ややかな目でみていますが、司馬遼太郎は、日露戦争で大もうけをしました.

諭吉は、日清・日露戦争で自分の新聞「時事新報」の発行部数をのばし、「お金」をもうけました.「マッチで放火し、火事でもうける」方式を大々的に実行したのです.

「日本一の金持ちとなること」が諭吉の「15,6歳のころ」の「希望」でした(「福翁自伝」)が、これを実現したのです.これらの戦争は、やがて対中侵略戦争から太平洋戦争へと進みます.

戦後、アジアで2000万人、全世界で数千万人の犠牲を出した戦争の反省として「戦争をしない」「戦力をもたない」憲法がつくられました.しかし、米国の要求により、憲法の軽視・無視が継続され、2007年の現状として、年金/財政の破綻・社会福祉の切り下げ・増税へとつながっています.

この現状を覆い隠すために、諭吉は「偉人」として「10000円札の肖像」になり、「お金の神様」「国民と政府の『師匠』」として、あがめられています.

諭吉は、「お金をもうけること」が希望でしたから、国民をだましてでも、戦争を利用してででも、十分満足していることでしょう.しかし、「国技・相撲」の「横綱二人が外国人である」ことにも例があるように、「開国し、虚勢をはった島国」「アメリカのポチとしての島国」から「国際社会の中での『調和した島国』」への日本の変身は始まりかけています.

諭吉とカナダの「慰安婦」決議

「日本政府は真摯な謝罪を」カナダの下院が全会一致で決議しました.(2007年11月28日)

アジア太平洋戦争時に、旧日本軍が侵略先の女性たちを性奴隷にした日本軍「慰安婦」問題で、日本政府に真摯(しんし)な謝罪を求める、米(7月)、オランダ(今月)に続く決議です。旧政府の犯罪を現政府が否定して、忘れたふりをする.それは通用しないことを国際社会が示したのです.

戦後50年以上たった現在でも、日本では過去の侵略戦争の責任を隠す動きがつづいています.
「沖縄住民に対する集団自決の強制」や「従軍慰安婦」の記述を歴史から消したいという希望は、反省のあらわれでしょうか? 「はずかしい」という認識がある証拠なのでしょうか?

「自分は、国民と日本政府の影の師匠だ」と自認した諭吉(注)は、この現象をどう理解するでしょうか? 

(注)「福沢諭吉全集発刊によせて」で、小泉信三は「諭吉は、日本人が諭吉の著書を読んで『新知識を得た』し、また、自分が『暗に政府のお師匠(ししょう)さまたりしことは古老(ころう.老人である自分)の今に忘れざるところなり』と放言したことがある」とのべています.

この師匠は、「遠慮(えんりょ)なくアジアを押領(おうりょう)して、わが手をもって新築するも可なり」とのべています.(「時事小言」福沢諭吉全集第5巻)

沖縄住民に対する「集団自決」の強制、「慰安婦」という「人身売買と性的奴隷化」を生み出した日本に責任のある過去の戦争は、「遠慮なくアジアを押領する」教えにもとづいていました.「天皇」や「宗教(ヤスクニ神社)」を利用し、国民をだます「教え」だったのです.(注)

(注)諭吉は、次のようにのべています.

「国のためには、財を失うのみならず、一命(いちめい.いのち)をもなげうちて惜しむにたら」ない(1872年「学問のすすめ」第3編 全集第3巻)

「馬鹿(バカ)と片輪(カタワ)に宗教、丁度よき取り合わせ」(1881年「宗教の説」全集第20巻)

天皇は、「愚民を篭絡(ろうらく)するの一欺術」(1889年「帝室論」全集第5巻)



この「師匠」の「教え」は、「反省」を求めてはいません.
「反省の欠如」─ これは、「師匠の教え」を「十分に理解していない」ためでしょうか?
それとも、「教え」自体が「お金が一番」の考えにもとづいているからなのでしょうか?

ちなみに、諭吉は、「15,6歳のころ」「日本一の金持ちになりたい」(「福翁自伝」)といっていました.諭吉は、自分が発行した新聞「時事新報」で、戦争を「すすめ」、戦争報道で発行部数をのばし、それで「お金」をもうけたのです.

その結果、「お金の神様」として10000円札の肖像とされ、「戦争犯罪無反省」の宣伝として利用され、その結果が与党・野党第一党の「憲法の軽視・無視」となり、「年金・財政の破綻」「憲法9条改正」から「米国の戦争政策への協力」「戦争をする国」、それによって、利権者と与党・野党の一部が「お金をもうける」もととなっているのです.

2007年11月29日木曜日

「民主主義を望む者には、狂者が多く、愚者も多い」(諭吉)

自由民権運動(注)のさなか、諭吉はこういったのです.

「世の国会開設を願望するものを見るに、非常なる狂者も多く、愚者も多い」(1881年「時事小言」福沢諭吉全集第五巻)

(注) 自由民権運動:1874年以降、藩閥政府による政治に対して、議会の開設、地租の軽減、不平等条約の改正、言論と集会の自由の保障などの要求を掲げた.1890年の帝国議会開設頃まで続く.(Wikipedia)

こうもいっています.

日本は、「もっぱら、武備を盛んにして国権を皇張(こうちょう)するの一点にあり」
「遠慮なくアジアを押領(おうりょう)して我が手をもって新築するも可なり」(いずれも「時事小言」)

「民主主義は No.武力侵略は OK」ということです.

21世紀の現在、10000万円札の肖像として、毎日拝まれている諭吉は、「狂者や愚者も多い」と考えながら私たちをみているのでしょうか?

2007年11月28日水曜日

福沢諭吉 と 「自己中心のすすめ」

諭吉は、「馬鹿と片輪に宗教、丁度よき取り合わせ」といいました.

ヤスクニ神社ができたころです.(1881年「宗教の説」福沢諭吉全集第21巻)
「東京招魂社」がヤスクニ神社と改称されたのは、1879年でした.

諭吉は、「国のためには財を失うのみならず、命をなげうちて惜しむに足らず」といっていました(1873年「学問のすすめ」初編 全集第3巻)

「『国民は、国のために財産を差し出し、死んでもよい』と考えなさい.家族が戦争で死んでも、ヤスクニ神社があるから、幸せになります.あなた方は、それを信じればいいのです」ということでしょうか?

美空ひばりの「九段の母」は、上野駅から九段まで歩いてきて、ヤスクニ神社の大鳥居を見上げて泣きました.

「母は泣けます うれしさに・・・」

彼女は、心の中で本当にうれしかったのでしょうか? それとも、諭吉の教えを受けた作詞者・作曲者や、ひばりにそれを歌わせたまわりの人のために、表向き「うれしい」といっただけなのでしょうか? そうだとすれば、彼女は「バカ」だったのではなく、「バカ」のふりをした「リコウ」だったのです.そのリコウな人の心の中は悲しかったのです.それとも、諭吉のいうように、彼女は悲しみを感じない人間だったのでしょうか?

そして、諭吉を含めて権力を持つ側は、「その間、お金をもうけますよ」ということです.
諭吉は、自分を「国民と政府の影の先生」と考えていて、国の政策と国民の思想をもうけのために都合よく操作していたのです.(「福沢諭吉全集発刊によせて」と題する文章で、小泉信三は「諭吉は、日本人が諭吉の著書を読んで『新知識を得た』し、また、自分が『暗に政府のお師匠(ししょう)さまたりしことは古老(ころう.老人である自分)の今に忘れざるところなり』と放言したことがある」とのべています)

国民をバカにしてだまし、日清・日露戦争へと誘導し、自分は戦争のニュース報道で「時事新報」の発行部数をのばして、金もうけをしていたのです.(後の司馬遼太郎も、日露戦争では大もうけをしています)

これほど、自己中心的な生き方があるでしょうか?(あると思います.2007年の現在も、「国際貢献」の名目で、アメリカの戦争政策に協力し、軍事産業からの見返りで金をもうけ、さらに、9条を変えて、より金もうけのチャンスを大きくする.このような勢力が、まだ与党にも野党第一党にも、存在しています)

2007年11月22日木曜日

「福沢諭吉全集」 と 平山洋 (7)

韓国の盧大統領と日本の福田首相の会談について、asahi.com は以下のように伝えています.

盧大統領、最後まで歴史問題 福田首相へは期待感

2007年11月21日23時59分

 残り任期3カ月の盧武鉉(ノ・ムヒョン)・韓国大統領が、東南アジア諸国連合(ASEAN)会合で訪問したシンガポールで事実上最後の首脳外交に臨んだ。歴史問題で終始ぎくしゃくした日本の福田首相とも20日に初会談。未来志向を掲げたが、歴史にこだわる大統領の視線は変わらなかった。

 「懸案が争点にならないよう管理し、問題が起きたら広がらぬよう努力することが大事だ」。首脳会談で大統領は任期中の日韓関係を振り返り、歴史認識や教科書問題に触れた。だが、直言をぶつけ、険悪になった過去に比べて、ソフトな雰囲気。アジア重視を掲げる福田首相への期待感と、来月選ばれる次期大統領への配慮が働いた。

 だが歴史観は変わっておらず、21日出した任期中の首脳外交総括は「過去の歴史の克服は日本の正しい歴史認識が前提との信念で断固対処した」とした。

日本には、平山洋氏のように、創作の形ではあれ、諭吉を登場させて歴史の書き換えるなどの試みが絶えない中、韓国の大統領がねばり強く日本に正しく歴史と向き合うことを要求する姿は、外国人ではあっても、非常に好感が持てます.

しかし、そうはとらない日本人も多いかと思います.その人たちは北朝鮮による日本人拉致被害者たちのことをどう考えているのでしょうか?

日本が過去に同じような犯罪をおかし、それにほほかぶりをしながら、「あなた方のやっていることは主権の侵害だ.犯罪だ」などといって、だれが納得するでしょうか?

正しい解決は、「私たちは間違っていた.あなた方も間違っている.これからは、お互いに決して間違えを犯さないようにしよう」という以外に解決ができないことは明らかだと思います.

諭吉は、自分は「暗に政府のお師匠だっだ」と認めていますが(小泉信三)、台湾・朝鮮の植民地化から中国への侵略戦争に積極的に貢献し、出来事をニュースとして伝える中で「時事新報」の発行部数をのばし、お金をもうけました.この点で、諭吉が「間違いを犯しても、お金が大切」という見本を残したことは、正当に批判されるべきです.

同時にその諭吉を擁護する立場、しかもウソをついてまで擁護する立場も、しょせんは「お金のため」であり、非難されるべきです.