財産を提供した上で、天皇陛下バンザイといって命を提供する.それがお国のためだ.
福沢諭吉の富国強兵論です.
命を失っては、何も残らないのではない.ヤスクニ神社に祭られるのだ.
諭吉は、ヤスクニ神社の役割を理解していたと思われます.
「馬鹿と片輪に宗教、ちょうどよき取り合わせ」(1881年「宗教の説」福沢諭吉全集第20巻)といったのは、ヤスクニ神社ができたころでした.
上野の駅から 九段まで
杖をたよりに 一日がかり
せがれきたぞや 会いにきた
空をつくよな 大鳥居
こんな立派な おやしろに
母は泣けます うれしさに
美空ひばりが7歳のとき、父の入隊にあたって歌わされた歌です.
1901年に死んだ諭吉は、1943年に子供の美空ひばりがヤスクニ神社の宣伝の歌を歌うことを知っていたのでしょうか?
2007年11月16日金曜日
諭吉は、「天皇を選挙で決めよう」とは言わなかった
福沢諭吉は、「学問のすすめ」で、「『天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず』と言えり」といったので、「諭吉は、『人間は平等である』ことを主張し、教育した」と考えている人が多いようです.
しかし、諭吉は64歳になって「福翁自伝」で、子供のころから(故郷の)地方の人たちを軽蔑していたことを証言しています.大阪とは話し方が違うので「中津人は俗物であると思って」「目下にこれを見下して」いたとのことです.「まるで歯牙(しが)にもかけずに、いわば人を馬鹿にしていたようなものです」
そこで、親戚や近所の子供たちとも遊ばなかったので、「木にのぼること」もへたで、「泳ぐこと」もできなかったそうです.
また、母親が「下等社会の者に付き合うこと」や「えたでも乞食(こじき)でも近づけ」「軽蔑もしなければ忌(いや)がりもせず、言葉なども至極(しごく.とても)丁寧(ていねい)」だったことを、「変わっていた」と批判的にのべています.
「人の上に人をつくらない」のなら、「天皇は選挙で選ぶ」「天皇は、国民の間で順番制にする」「天皇は抽選で決める」といったのかと思えば、そうではなかったと考える人もいるかもしれません.
諭吉は、それよりももっとりこうだったのです.「天皇は、バカな国民をだますための一つの手段だ」という考えもある(1882年「帝室論」福沢諭吉全集第5巻)といって、「天皇と国のために財産と命を提供する」ことを教育・宣伝し、国民を朝鮮・台湾の植民地化、アジア侵略の戦争に追い込み、戦争の報道で自分の新聞「時事新報」の発行部数をのばし、大もうけをしたのです.
その亜流は、2007年の現在も最高額の10000円札に諭吉を肖像として掲げ、「憲法改正」「自衛隊海外派兵」などを叫んでいます.彼らもそれなりに「金をもうけている」のです.(それを支払っているのは、ミルク代から消費税を払っている赤ちゃんまでをも含む国民です)
しかし、諭吉は64歳になって「福翁自伝」で、子供のころから(故郷の)地方の人たちを軽蔑していたことを証言しています.大阪とは話し方が違うので「中津人は俗物であると思って」「目下にこれを見下して」いたとのことです.「まるで歯牙(しが)にもかけずに、いわば人を馬鹿にしていたようなものです」
そこで、親戚や近所の子供たちとも遊ばなかったので、「木にのぼること」もへたで、「泳ぐこと」もできなかったそうです.
また、母親が「下等社会の者に付き合うこと」や「えたでも乞食(こじき)でも近づけ」「軽蔑もしなければ忌(いや)がりもせず、言葉なども至極(しごく.とても)丁寧(ていねい)」だったことを、「変わっていた」と批判的にのべています.
「人の上に人をつくらない」のなら、「天皇は選挙で選ぶ」「天皇は、国民の間で順番制にする」「天皇は抽選で決める」といったのかと思えば、そうではなかったと考える人もいるかもしれません.
諭吉は、それよりももっとりこうだったのです.「天皇は、バカな国民をだますための一つの手段だ」という考えもある(1882年「帝室論」福沢諭吉全集第5巻)といって、「天皇と国のために財産と命を提供する」ことを教育・宣伝し、国民を朝鮮・台湾の植民地化、アジア侵略の戦争に追い込み、戦争の報道で自分の新聞「時事新報」の発行部数をのばし、大もうけをしたのです.
その亜流は、2007年の現在も最高額の10000円札に諭吉を肖像として掲げ、「憲法改正」「自衛隊海外派兵」などを叫んでいます.彼らもそれなりに「金をもうけている」のです.(それを支払っているのは、ミルク代から消費税を払っている赤ちゃんまでをも含む国民です)
福沢諭吉 と UFO
「外に敵を作ることが、内を治めることにつながる」との内容を福沢諭吉は主張しています.さらに、「外に敵を作ることが、『お金もうけ』につながる」ことも、実践しています.(いずれも、文献上の根拠を別途確認することが必要)
同じことを、アメリカの石油資本・軍事産業はブッシュを通じて実践しています.
その後を無批判について行くのが「アメリカのポチ」です.
2007年には、アフガニスタンやイラクの「敵」もアメリカ国民に対する説得力を失いはじめて、国民の過半数と民主党が戦争に反対するようになっています.
それでは、どこの「外」に「敵」を求めるのか?
それは、「宇宙」のようです.
次のようなニュースがありました.
米元州知事、本気で要請「ufo調べろ」
日刊スポーツ - 18時間前
米メディアは13日、米空軍の元パイロットらが米政府に対し、ufo(未確認飛行物体)の調査を再開するよう要請したと伝えた。米政府はこれまで「ufo=異星人説」を否定。公式調査は約40年前に終了し、その後行われていなかった。先月、民主党のクシニッチ大統領候補(61) ...
「ufoを調べて!」米政府に元空軍パイロットらがお願い サンケイスポーツ
2007/11/13-21:35 米政府にufo調査再開を要求=笑い事でないと元パイロットら 時事通信
同じことを、アメリカの石油資本・軍事産業はブッシュを通じて実践しています.
その後を無批判について行くのが「アメリカのポチ」です.
2007年には、アフガニスタンやイラクの「敵」もアメリカ国民に対する説得力を失いはじめて、国民の過半数と民主党が戦争に反対するようになっています.
それでは、どこの「外」に「敵」を求めるのか?
それは、「宇宙」のようです.
次のようなニュースがありました.
米元州知事、本気で要請「ufo調べろ」
日刊スポーツ - 18時間前
米メディアは13日、米空軍の元パイロットらが米政府に対し、ufo(未確認飛行物体)の調査を再開するよう要請したと伝えた。米政府はこれまで「ufo=異星人説」を否定。公式調査は約40年前に終了し、その後行われていなかった。先月、民主党のクシニッチ大統領候補(61) ...
「ufoを調べて!」米政府に元空軍パイロットらがお願い サンケイスポーツ
2007/11/13-21:35 米政府にufo調査再開を要求=笑い事でないと元パイロットら 時事通信
2007年11月15日木曜日
稲荷(いなり)様の社(やしろ)を開けて見る!
諭吉が、神様の名のある御札(おふだ)をトイレで踏んだとき(十二、三歳のころ)から「一つも二つも年をとれば、年寄りなどの『神罰(しんばつ.神があたえるばつ)』などということは、大ウソだと信じ切って、今度は一つ稲荷様(いなりさま)を見てやろうという野心を起こし」おじの家の稲荷の社(やしろ)を開けてみます.
そして石を発見したので、その石を捨て、別の石を入れておきます.
「また、隣の下村という屋敷の稲荷様を開けてみれば、神体は何か木の札(ふだ)で、これもとって捨ててしまい、平気な顔していると、まもなく初午(はつうま)になって、のぼりを立てたり、太鼓(たいこ)をたたいたり、お神酒(おみき)を上げてワイワイしているから、私はおかしい.『馬鹿め、オレの入れておいた石にお神酒を上げて拝んでいるとは面白い』」(「福翁自伝」)
諭吉が、十三、四のころのことです.
そして石を発見したので、その石を捨て、別の石を入れておきます.
「また、隣の下村という屋敷の稲荷様を開けてみれば、神体は何か木の札(ふだ)で、これもとって捨ててしまい、平気な顔していると、まもなく初午(はつうま)になって、のぼりを立てたり、太鼓(たいこ)をたたいたり、お神酒(おみき)を上げてワイワイしているから、私はおかしい.『馬鹿め、オレの入れておいた石にお神酒を上げて拝んでいるとは面白い』」(「福翁自伝」)
諭吉が、十三、四のころのことです.
神様のお札(おふだ)をトイレで踏んでみる
諭吉が十二、三歳のころのことです(「福翁自伝」).
兄が古い紙をそろえているとき、諭吉がそれを足で踏んでしまいます.
兄は、「殿様(とのさま)の名前の書いてある紙だ.踏むとは何だ」とおこります.
諭吉は「まことに悪うございましたから、かんにんしてください」とあやまりますが、不満です.
殿様の名前を書いてある古い紙を踏んで悪いのなら、「神様の名のある御札(おふだ)を踏んだらどうだろうと思って、人の見ぬところで踏んでみたがなんともない」
「コリャ面白い、今度はトイレでやってやろう」と少しこわかったが、トイレで御札を踏んでみたが「なんともない」
(この一、二年後、諭吉は「稲荷(いなり)様の社(やしろ)を開けて見る!」ことをおこない、石を発見します)
この後、諭吉は「神様は、拝むものではなく、利用するものだ」ということを知るのです.
諭吉が「馬鹿と片輪に宗教、丁度よき取り合わせ」(「宗教の説」福沢諭吉全集第20巻)といったのは、1881年ごろ.ちょうどヤスクニ神社ができたころでした.
(戦争で死ねば、ヤスクニ神社にまつられるよ.
空をつくよな 大鳥居、こんな立派な おやしろに、母は泣けます うれしさに...美空ひばりが7歳のとき、父の入隊にあたって歌った「九段の母」です.そのときには、「日の丸」も振られていたはずです)
諭吉は、「国のために、財産と命を提供する」ことをすすめて、戦争を応援し、戦争のニュースを自分の新聞「時事新報」で大いに売って、発行部数をのばし、大もうけをし、本当に「金持ち」になったのです.(お金の神様は、やっぱりスゴイ!)
兄が古い紙をそろえているとき、諭吉がそれを足で踏んでしまいます.
兄は、「殿様(とのさま)の名前の書いてある紙だ.踏むとは何だ」とおこります.
諭吉は「まことに悪うございましたから、かんにんしてください」とあやまりますが、不満です.
殿様の名前を書いてある古い紙を踏んで悪いのなら、「神様の名のある御札(おふだ)を踏んだらどうだろうと思って、人の見ぬところで踏んでみたがなんともない」
「コリャ面白い、今度はトイレでやってやろう」と少しこわかったが、トイレで御札を踏んでみたが「なんともない」
(この一、二年後、諭吉は「稲荷(いなり)様の社(やしろ)を開けて見る!」ことをおこない、石を発見します)
この後、諭吉は「神様は、拝むものではなく、利用するものだ」ということを知るのです.
諭吉が「馬鹿と片輪に宗教、丁度よき取り合わせ」(「宗教の説」福沢諭吉全集第20巻)といったのは、1881年ごろ.ちょうどヤスクニ神社ができたころでした.
(戦争で死ねば、ヤスクニ神社にまつられるよ.
空をつくよな 大鳥居、こんな立派な おやしろに、母は泣けます うれしさに...美空ひばりが7歳のとき、父の入隊にあたって歌った「九段の母」です.そのときには、「日の丸」も振られていたはずです)
諭吉は、「国のために、財産と命を提供する」ことをすすめて、戦争を応援し、戦争のニュースを自分の新聞「時事新報」で大いに売って、発行部数をのばし、大もうけをし、本当に「金持ち」になったのです.(お金の神様は、やっぱりスゴイ!)
「明治維新最大の思想家」
諭吉は、「明治維新最大の思想家」と信じている人がいます.
「学問のすすめ」(注)で、「『天は人の上に人を造(つく)らず、人の下に人を造らず』と言えり」と書いて、アメリカ独立宣言やフランス革命の「平等」の考え方を紹介したと理解されているからでしょうか?
注:
1872年(明治5年2月)初編出版。以降、1876年(明治9年11月25日)十七編出版を以って一応の完成をみた。その後1880年(明治13年)に「合本學問之勸序」という前書きを加え、一冊の本に合本された。その前書きによると初出版以来8年間で合計約70万冊が売れたとの事である。最終的には300万部以上売れたとされ、当時の日本の人口が3000万人程であったから実に10人に1人が読んだことになる(Wikipedia)
諭吉自身は、身分に上下のある封建性をきらい、故郷大分県中津を飛び出したのでしたが、成功して「金持ち」になったあとは、社会には身分の上下があることは当たり前と考えていました.
66歳のとき、「福翁自伝」でこう書いています.
(諭吉の母は)「少し変わっていたようです」「下等社会の者に付き合うことがすきで、出入りの百姓、町人は無論、えたでも乞食(こじき)でも、さっさと近づけて、軽蔑もしなければが嫌(いや)がりもせず、言葉など至極(しごく.とても)丁寧(ていねい)でした」
「母は少し変わっていたが、自分は普通だっだ」のです.
(「この人は、『学問のすすめ』を読んだことがあるのだろうか?」と考える人もあるかも知れません)
「学問のすすめ」(注)で、「『天は人の上に人を造(つく)らず、人の下に人を造らず』と言えり」と書いて、アメリカ独立宣言やフランス革命の「平等」の考え方を紹介したと理解されているからでしょうか?
注:
1872年(明治5年2月)初編出版。以降、1876年(明治9年11月25日)十七編出版を以って一応の完成をみた。その後1880年(明治13年)に「合本學問之勸序」という前書きを加え、一冊の本に合本された。その前書きによると初出版以来8年間で合計約70万冊が売れたとの事である。最終的には300万部以上売れたとされ、当時の日本の人口が3000万人程であったから実に10人に1人が読んだことになる(Wikipedia)
諭吉自身は、身分に上下のある封建性をきらい、故郷大分県中津を飛び出したのでしたが、成功して「金持ち」になったあとは、社会には身分の上下があることは当たり前と考えていました.
66歳のとき、「福翁自伝」でこう書いています.
(諭吉の母は)「少し変わっていたようです」「下等社会の者に付き合うことがすきで、出入りの百姓、町人は無論、えたでも乞食(こじき)でも、さっさと近づけて、軽蔑もしなければが嫌(いや)がりもせず、言葉など至極(しごく.とても)丁寧(ていねい)でした」
「母は少し変わっていたが、自分は普通だっだ」のです.
(「この人は、『学問のすすめ』を読んだことがあるのだろうか?」と考える人もあるかも知れません)
「何になるつもりか?」「日本一の大金持ちだ」(諭吉)
「福翁自伝」にあります.
これは、私の十六、七のころと思います.
兄が「お前はこれから先、何になるつもりか?」というから、「左様さ(さようさ.そうですね)、まず日本一の大金持ちになって思うさま金を使うてみようと思います」という.
(「福翁自伝」は、諭吉が63歳のとき口述して、1898-1899年に「時事新報」に連載されました)
「僕の夢は、一流のプロ野球選手になることです」(「僕の夢」小学校6年のイチローの作文)
諭吉の夢も、諭吉の努力により、実現されました.
封建的な枠組みをきらい、故郷を飛び出して、オランダ語・英語を習い、教育事業(慶応義塾の創設)と言論分野(新聞「時事新報」の発行)で成功し、「天皇制」と「宗教」を利用して、国民を戦争(日清・日露・対中国侵略戦争)に追いやり、戦争ニュースの報道で時事新報の発行部数を大いにのばして、大もうけをしたのです.
その思想は、太平洋戦争の遂行を支え、戦後も戦争責任の回避をつづける歴代政府の守護神となり、2007年の現在も最高額紙幣(10000円札)の肖像として、日本国民の上に君臨しています.
これは、私の十六、七のころと思います.
兄が「お前はこれから先、何になるつもりか?」というから、「左様さ(さようさ.そうですね)、まず日本一の大金持ちになって思うさま金を使うてみようと思います」という.
(「福翁自伝」は、諭吉が63歳のとき口述して、1898-1899年に「時事新報」に連載されました)
「僕の夢は、一流のプロ野球選手になることです」(「僕の夢」小学校6年のイチローの作文)
諭吉の夢も、諭吉の努力により、実現されました.
封建的な枠組みをきらい、故郷を飛び出して、オランダ語・英語を習い、教育事業(慶応義塾の創設)と言論分野(新聞「時事新報」の発行)で成功し、「天皇制」と「宗教」を利用して、国民を戦争(日清・日露・対中国侵略戦争)に追いやり、戦争ニュースの報道で時事新報の発行部数を大いにのばして、大もうけをしたのです.
その思想は、太平洋戦争の遂行を支え、戦後も戦争責任の回避をつづける歴代政府の守護神となり、2007年の現在も最高額紙幣(10000円札)の肖像として、日本国民の上に君臨しています.
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