2007年11月15日木曜日

「明治維新最大の思想家」

諭吉は、「明治維新最大の思想家」と信じている人がいます.

「学問のすすめ」(注)で、「『天は人の上に人を造(つく)らず、人の下に人を造らず』と言えり」と書いて、アメリカ独立宣言やフランス革命の「平等」の考え方を紹介したと理解されているからでしょうか?

注:
1872年(明治5年2月)初編出版。以降、1876年(明治9年11月25日)十七編出版を以って一応の完成をみた。その後1880年(明治13年)に「合本學問之勸序」という前書きを加え、一冊の本に合本された。その前書きによると初出版以来8年間で合計約70万冊が売れたとの事である。最終的には300万部以上売れたとされ、当時の日本の人口が3000万人程であったから実に10人に1人が読んだことになる(Wikipedia)

諭吉自身は、身分に上下のある封建性をきらい、故郷大分県中津を飛び出したのでしたが、成功して「金持ち」になったあとは、社会には身分の上下があることは当たり前と考えていました.

66歳のとき、「福翁自伝」でこう書いています.

(諭吉の母は)「少し変わっていたようです」「下等社会の者に付き合うことがすきで、出入りの百姓、町人は無論、えたでも乞食(こじき)でも、さっさと近づけて、軽蔑もしなければが嫌(いや)がりもせず、言葉など至極(しごく.とても)丁寧(ていねい)でした」

「母は少し変わっていたが、自分は普通だっだ」のです.
(「この人は、『学問のすすめ』を読んだことがあるのだろうか?」と考える人もあるかも知れません)

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