諭吉の会社「時事新報」社は、社説や記事を通じて、台湾・朝鮮の植民地化を後押しし、これを推し進めました.
ここには、諭吉の歴史に対する理解「文明が野蛮を制し、他国・他民族の領土・資源・財産・生命・労働力・女性を自由にすること、これが国際ルールの上にたつ大砲の『法令』である.その中で『金儲けをすることこそ、天の定めたルールである』」(別項)との「独自の法令」もち、これを遵守していました.
京都嵐山を本店とする京料理・懐石料理・日本料理の料亭「京都吉兆」は、産地偽装・賞味期限の改ざんなどをおこなうことにより、商売をつづけ、伝統の屋号を守ろうとしました.
ここには、「金儲けとビジネスの生き残り」が法令に優先するという精神がありました.
「時事新報」の場合にも、同様です.(「時事新報」では、ビジネスの生き残りより、むしろ「金儲け」の動機の方が強かったと考えられます)
この「法令を遵守する精神に欠けている」生き方は、なぜ容認されてきたのでしょうか?
それは、戦後半世紀以上、政府与党・野党の一部が「憲法の軽視・無視」をつづけてきたこと、現在でもつづけていることが背景にあります.国全体が憲法を遵守しない中で、一企業・個人が法令を遵守することは、普通とはいえません.
その結果が、「産地偽装・賞味期限の改ざん」であり、「年金・財政の破綻」の現状です.
諭吉以来つづく、侵略戦争の肯定・「金をもうけのためには、人の命も、人間の尊厳も、ましてや自然の環境も、邪魔なものは『だましと大砲』で、とりのぞく」資本主義の論理こそが、産地偽装・賞味期限の改ざんなどの背景にあるのです.