「来年度予算の歳入の柱である国債の発行計画がまとまった。総額126・3兆円にも上る。新規発行は25・3兆円だ。過去に発行し満期が来る分の借換債も92・5兆円ある。財政投融資の原資の財投債が8・4兆円加わる」(2008年1月16日付・読売社説)
税収は、約50兆円です.総額約126兆円の国債の発行額は、税収の約2倍半です.
収入の2倍半の借金をしなければ、やって行けない!?
借金の70%以上が、借金の返済のための借金!?
これが日本の財政です.
しかも、「年金を払うのは先だから、使ってしまえ(注1)」これが厚生年金制度ができたとき(1944年)の考え方です.はじまりは、ナチスドイツをまねた(注2-1, 2-2, 2-3)戦費調達のためでした.戦前の政治が現在の政治に残されているのです.
また、税収の約10%(5兆円)となる「防衛関係」の調達は、大部分が随意契約(金額的に約85% 注3)で数十パーセント以上に水増しされ、米日の軍事産業と関係政治家をもうけさせています.
それは、なぜ許されるのか? それは、「国民の生命と財産を守る」「国際貢献・国際協力」「テロの撲滅」のために、必要だからです.「日米安保条約でメシを食べている人たちや、与党・野党の一部」のために必要だからではないのです.
これらの状況は、どのように生まれたのか?
それは、現在もなお戦前の政治が引き継がれていること、戦後、米国の要求に与党・野党の一部が協力して、「憲法の軽視・無視」が継続して続けられてきたことによります.
「憲法の軽視・無視」が「日米安保でメシを食べている人たちや与党・野党の一部」をのさばらせ、国民の命と暮らしを犠牲に、彼らを存在させている.このような状況を、国民は永久にガマンしていられるでしょうか?
ガマンするとすれば、年金・財政の破綻で、国民は戦争と同じような悲惨な目にあうことになります.
そうでなくても、日本の国民はアメリカの戦争に協力して、結果としてその共犯者となっています.さらに重大な犯罪を重ねてはなりません.
「日米安保でメシを食べている人たちや政党」には、早く行くべきところ、歴史のゴミ箱の中に入ってもらうことが必要です.
(注1-1)
【第5号】年金を払うのは先のことだから・・・厚生年金誕生秘話「厚生年金保険制度回顧録」
号数…第5号
発効日…【2007/3/4】
購読者数…69名
件名…年金を払うのは先のことだから・・・厚生年金誕生秘話
┏━━ ● 年金、みんな怒っています! ● 第5号
◎年金を払うのは先のことだから・・・厚生年金誕生秘話(「厚生年金保険制度回顧録」)
年金を払うのは先のことだから、今のうち、
どんどん使ってしまっても構わない・・・
・・・早いうちに使ってしまった方が得をする・・・
・・・将来みんなに支払う時に金が払えなくなったら、
賦課金にしてしまえばいい・・・
これは、厚生年金保険法作成に携わった
戦前厚生年金保険課長だった花澤武夫氏が、
昭和61年に厚生省の外郭団体が主催した座談会で話した内容です。
その内容は、「厚生年金保険制度回顧録」にまとめられています。
第159回国会 予算委員会でも取り上げられた内容です。
一部抜粋
-----------------------< ここから引用開始 >-----------------------
それで、いよいよこの法律ができるということになった時、
これは労働者年金保険法ですね。
すぐに考えたのは、この膨大な資金の運用ですね。
これをどうするか。これをいちばん考えましたね。
この資金があれば一流の銀行だってかなわない。
今でもそうでしょう。
何十兆円もあるから、一流の銀行だってかなわない。
これを厚生年金保険基金とか財団とかいうものを作って、
その理事長というのは、日銀の総裁ぐらいの力がある。
そうすると、厚生省の連中がOBになった時の勤め口に困らない。
何千人だって大丈夫だと。金融業界を牛耳るくらいの力があるから、
これは必ず厚生大臣が握るようにしなくてはいけない。
この資金を握ること、それから、その次に、
年金を支給するには二十年もかかるのだから、
その間、何もしないで待っているという馬鹿馬鹿しいことを言っていたら
間に合わない。
そのためにはすぐに団体を作って、政府のやる福祉施設を肩替りする。
社会局の庶務課の端っこのほうでやらしておいたのでは話にならない。
大営団みたいなものを作って、政府の保険については全部委託を受ける。
そして年金保険の掛金を直接持ってきて運営すれば、
年金を払うのは先のことだから、今のうち、
どんどん使ってしまっても構わない。
使ってしまったら先行困るのではないかという声もあったけれども、
そんなことは問題ではない。
二十年先まで大事に持っていても貨幣価値が下がってしまう。
だからどんどん運用して活用したほうがいい。
何しろ集まる金が雪ダルマみたいにどんどん大きくなって、
将来みんなに支払う時に金が払えなくなったら賦課式にしてしまえば
いいのだから、それまでの間にせっせと使ってしまえ。
-----------------------< ここまで引用終了 >-----------------------
http://www.office-onoduka.com/mag2/005_20070304.htmlから引用(2008年1月18日)
(注2-1)
けさ(9日)の朝日新聞で、ジャーナリストの斎藤貴男氏が「問題は年金制度そのもの」と書いている。
最近の年金問題の不祥事に関連して、社保庁職員が賞与の一部返上を求められていることに、国民のあいだからも「とうぜんだ」という声が挙がっている。
しかし、斎藤氏はちょっと待ってくれ、これは江戸時代の「踏み絵」みたいではないかと反論する。
塩崎官房長官は、返納しない職員は2010年に改組される予定の「日本年金機構」に再雇用しない、とにおわせるような発言を平気でしているから、「踏み絵」というのも、あながち的はずれではない。
近ごろは政治家の責任論は立ち消えになって、社保庁悪者論、とくに労組悪者論が横行している。
今回の問題で、社会保険庁に大きな責任があることは言うまでもない。
保険料を払ったのに、その記録がなくなり、支払い分に該当する年金が受け取れないのは由々しき事態である。
対象者は失われた記録の修復を要求し、とうぜんの権利を取り戻すべきだ。
かといって、何もかも社会保険庁が悪いといって、溜飲を下げるだけで事は片づくのだろうか。
実は、人類はこれまで高齢化社会を経験したことがない。
日本でも戦前の平均寿命はおそらく50歳程度で、それが75歳、80歳になったのはつい最近のことだ。
定年前後の人は、これからの老後をどう生きるかに大きな不安を抱いている。
社会保険庁の記録ミスは、そうした不安に火を付ける結果になった。
しかし、記録が完全に修復されたからといって、老後の不安がなくなるわけではない。
斎藤氏は、年金を導入したのは実はナチス・ドイツだと指摘して、厚生省の初代年金保険課長だった花沢武夫氏の内輪の談話を紹介している。
〈[ナチス・ドイツは]年金保険の金を利用してベルリンから八方に向けて戦時目的の自動車の高速道路、アウトバーンを作ったのですね。……軍の要請と言われれば、戦争中ですから、うんもすんもない。……世間では何のことかよく分からないうちに必要な法律なのだということで、鵜呑みにさせられてしまったのでしょう〉
http://blog.so-net.ne.jp/kimugoq/2007-07-09 より引用(2008年1月18日)
(注2-2)
核心をつく=問題は制度そのもの
新聞を拾い読みしていると、面白い記事に出会ったので紹介したい。読み終わって、全く同感!という感想をもった。
7月9日づけの朝日新聞「私の視点」(斉藤貴男さん)の記事だ。
社会保険庁の全職員が賞与の一部自主返納を求められている。年金記録問題で安倍首相と塩崎官房長官、柳沢厚労相の3人が示した”率先垂範”に、村瀬清司長官が部下を倣(なら)わせる形だが、背後には首相の強い意向がある。
社保庁の年金部門は、2010年に「日本年金機構」へと改組される。返納しない職員は再雇用されない可能性を、そこで塩崎長官が匂わせた。自主返上は、事実上の強制となった。
いわゆる国民感情はそれなりに満足させられたらしい。参院選を控えてのパフォーマンスだとか”総ざんげ”は責任の所在を曖昧にしかねないとの批判はあるものの、論壇での議論にとどまっている。
筆者(斎藤氏)に言わせれば、いずれも反応が甘すぎる。安倍首相は権力を弄びすぎてはいないか。人間一人ひとりの生活が、雲の上の腹一つで左右され、忠誠度を測る踏み絵にされてしまってはたまらない。
常に”人民の敵”を設定するやり方も卑劣だ。責任の所在をぼかすどころか、労組や末端の職員たちに転嫁し、大衆の憎悪を浴びせては民営化への起爆剤にしていく。構造改革路線の常套手段である。
論理のすり替えも甚だしく、民間なら返納ですまなぬ式の論法も聞き飽きた。貸しはがしで人々を自殺に追いやった銀行や、詐欺に近い保険金不払いを重ねた生損保の従業員も責任を取らなかった。民間企業への過剰な信仰は、官尊民卑の裏返しで見苦しい。
目下の事態の本質は年金制度そのものにある。本気で責任を追及すれば、過去60有余年に政権にかかわった全員が万死に値しよう。
そもそもが加入者の老後を心配して生まれた制度ではなかった。厚生年金保険の前身である船員保険と労働者年金保険は、1940(昭和15)年から42年にかけて、戦争を契機に開始されている。後者は産業戦士と呼ばれた炭鉱労働者を特に優遇した。厚生省の初代年金保険課長だった花澤武夫氏の内輪の座談会での証言が興味深い。
「(制度の手本にしたナチス・ドイツは)年金保険の金を利用してベルリンから八方に向けて戦時目的の高速道路、アウトバーンを作ったのですね。(中略)ヒットラー・ユーゲントなどに金をやってスポーツを奨励する。これは将来の戦力になるわけです」
「労働者の方は(年金保険料)出すに決まっているのです。あの時代は組合組織も何もありませんから。それに反対するような勢力もなくて、軍の要請といわれれば、戦争中ですから、うんもすんもない。(中略)戦争に勝つために必要な法律なのだということで、鵜呑みにさせられしまったのでしょう」(財団法人厚生団編「厚生年金保険制度回顧録」、1988年)
要は初めから加入者への年金給付など二の次三の次でしかなかったということだ。運用と称して保険料で豪華な保養施設を次々と造り、天下り先を乱立させたのを見ても、国民を「金づる」と見なした発想は戦後も改められることはなかった。だからこそ、勤務先が保険料を半額負担してくれる厚生年金と本人の全額負担が強いられる国民年金、などという不公正が罷り通り続けてもいる。
イカサマの正体が、ついに明らかになった。それでも国民の不安につけ込んで政争の具としたり、基礎年金番号を住基ネットと連動させて社会保障番号&国民カードへと展開しようとしたリ、失態を逆に利用する構図は醜悪すぎる。社会保障番号の完成はそのまま国民総背番号制を意味しよう。先輩格の米国はベトナム戦争時代、徴兵忌避者を追跡して戦場に送り出すのに活用した。
もはや一から出直す以外の道はあり得ない。社会保険方式にこだわるから、正当な給付が期待できないと見る人は保険料を支払わない。世代間の相互扶助が第一義だと言うならば、税方式への転換を含めた抜本的な制度改革を真摯に検討すべきではないか。政府には今度こそ、人間の生というものを軽んじない、誠実な態度をと願うものである。
拍手~~~~。
http://toyoiunion.cocolog-nifty.com/blog/2007/07/post_8296.html
より引用(2008年1月18日)
(注2-3)
2007.07.10
本当に脱却すべきすべきは…。
「超」整理法で知られる野口悠紀雄先生は、私が通った大学の先生だった(授業をとった覚えはないが…。学部が違ったので)。で、経済学者として書いた本に「1940年体制ーさらば戦時経済」というのがある。
これによると、1938年に作られた国家総動員法など、一連の戦時体制が戦後も引き継がれてきたという。それは例えば、株などの直接金融よりも、銀行からの融資による間接金融を重視。そしてその銀行を護送船団方式で、国ががっちり管理するなど。経済全体を官僚がコントロールする、社会主義的な政策だったともいわれる。しかし金融再編などとともに、さすがにこの体制も崩れつつある。
7月9日の朝日新聞朝刊の「私の視点」で、ジャーナリストの斎藤貴男氏が年金の問題に関して論じている。「厚生年金保険の前身である船員保険と労働者年金保険は、1940(昭和15)年から42年にかけて、戦争を契機に開始されている」。そして厚生省の初代年金保険課長の証言として、手本としたナチス・ドイツが年金保険の金でアウトバーンを作った事を挙げ、「『世間では何のことかよくわからないうちに、要するに、戦争に勝つために必要な法律なのだということで、鵜呑みにさせられてしまったのでしょう』」「要は初めから加入者への年金給付など二の次三の次でしかなかったということだ」と主張している。
ここに来て様々な形で噴出する年金問題。年金も金融制度同様戦時体制の産物であり、そのからくりにもいよいよ賞味期限が来たということなのだ。日本が本来脱するべきなのは「戦後レジーム」なのではなく、まず「1940年体制」とも呼ばれる戦時体制なのではないだろうか。その辺を見誤らないようにすべきだと思う。
http://pine-link.blogzine.jp/company/cat2715401/index.html より引用(2008年1月18日)
(注3)
防衛省情報検索サービス:http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/1999/honmon/frame/at1106010103.htm 2008/1/17