諭吉は、「馬鹿と片輪に宗教、丁度よき取り合わせ」といいました.
ヤスクニ神社ができたころです.(1881年「宗教の説」福沢諭吉全集第21巻)
「東京招魂社」がヤスクニ神社と改称されたのは、1879年でした.
諭吉は、「国のためには財を失うのみならず、命をなげうちて惜しむに足らず」といっていました(1873年「学問のすすめ」初編 全集第3巻)
「『国民は、国のために財産を差し出し、死んでもよい』と考えなさい.家族が戦争で死んでも、ヤスクニ神社があるから、幸せになります.あなた方は、それを信じればいいのです」ということでしょうか?
美空ひばりの「九段の母」は、上野駅から九段まで歩いてきて、ヤスクニ神社の大鳥居を見上げて泣きました.
「母は泣けます うれしさに・・・」
彼女は、心の中で本当にうれしかったのでしょうか? それとも、諭吉の教えを受けた作詞者・作曲者や、ひばりにそれを歌わせたまわりの人のために、表向き「うれしい」といっただけなのでしょうか? そうだとすれば、彼女は「バカ」だったのではなく、「バカ」のふりをした「リコウ」だったのです.そのリコウな人の心の中は悲しかったのです.それとも、諭吉のいうように、彼女は悲しみを感じない人間だったのでしょうか?
そして、諭吉を含めて権力を持つ側は、「その間、お金をもうけますよ」ということです.
諭吉は、自分を「国民と政府の影の先生」と考えていて、国の政策と国民の思想をもうけのために都合よく操作していたのです.(「福沢諭吉全集発刊によせて」と題する文章で、小泉信三は「諭吉は、日本人が諭吉の著書を読んで『新知識を得た』し、また、自分が『暗に政府のお師匠(ししょう)さまたりしことは古老(ころう.老人である自分)の今に忘れざるところなり』と放言したことがある」とのべています)
国民をバカにしてだまし、日清・日露戦争へと誘導し、自分は戦争のニュース報道で「時事新報」の発行部数をのばして、金もうけをしていたのです.(後の司馬遼太郎も、日露戦争では大もうけをしています)
これほど、自己中心的な生き方があるでしょうか?(あると思います.2007年の現在も、「国際貢献」の名目で、アメリカの戦争政策に協力し、軍事産業からの見返りで金をもうけ、さらに、9条を変えて、より金もうけのチャンスを大きくする.このような勢力が、まだ与党にも野党第一党にも、存在しています)