財産を提供した上で、天皇陛下バンザイといって命を提供する.それがお国のためだ.
福沢諭吉の富国強兵論です.
命を失っては、何も残らないのではない.ヤスクニ神社に祭られるのだ.
諭吉は、ヤスクニ神社の役割を理解していたと思われます.
「馬鹿と片輪に宗教、ちょうどよき取り合わせ」(1881年「宗教の説」福沢諭吉全集第20巻)といったのは、ヤスクニ神社ができたころでした.
上野の駅から 九段まで
杖をたよりに 一日がかり
せがれきたぞや 会いにきた
空をつくよな 大鳥居
こんな立派な おやしろに
母は泣けます うれしさに
美空ひばりが7歳のとき、父の入隊にあたって歌わされた歌です.
1901年に死んだ諭吉は、1943年に子供の美空ひばりがヤスクニ神社の宣伝の歌を歌うことを知っていたのでしょうか?
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