2007年11月16日金曜日

天皇は、諭吉の論文で教育されていた

1946、戦後まもなくのことです.
現在(2007年)の天皇が皇太子であったとき、小泉信三という人が皇太子の教育係りとなりました.

この人は、父親が第二代慶應義塾々長(1887年~1890年)で、自身も1933年から1947年まで慶應義塾の塾長でした.慶応義塾は、福沢諭吉が創設したのですから、福沢諭吉とも関係の深い人でした.小泉信三は、慶応義塾編・岩波書店発行の「福沢諭吉全集」全21巻および別巻の監修者でもありました.

この人の著書に「ジョオジ五世伝と帝室論」という本があります.この本の書き出しに「ご一緒に読んだ本のことといえば、福沢の「帝室論」と露伴の「運命」とは、殿下と私とで、かわるがわる音読した」とあります.

その「帝室論」には、天皇の役割として「バカな国民をだますための一つの手段」という考えが紹介されています.諭吉はその「手段」を有効に利用するためには、その正体をはっきりさせては「だまし」にはならないということから、「それは、政治の経験の少ない若造のいうことだ」といって、経験のある人はそのようなことを口には出さないことを強調しています.

諭吉は、同時に「『天皇』は『人は平等』という原則とは矛盾する」ことも口には出していません.

諭吉は、国民が「天皇陛下バンザイ」といって、財産のあとに命まで提供するという態度を「美しい」として教育・宣伝したのでした.その結果、日本の日清・日露・対中侵略戦争は太平洋戦争にまで進んでしまったのです.しかし、この過程で諭吉は「時事新報」の発行部数をのばし、大もうけをしたのです.

この「帝室論」を小泉信三はどのように皇太子に教えたのでしょうか?
それは、まさに諭吉が意図したとおりに、「(「天皇は、バカな国民をだます一つの手段」という考え方は)政治の経験の少ない若造がいうことである」といって片付けています.

諭吉の「天皇」や「宗教(ヤスクニ神社)」を利用して、国民をだまして戦争に引き込み、その一方で金もうけをする精神は、戦後も(2007年の現在も)ひきつづき勢力をたもっています.

しかし、その勢力は歴史のゴミ箱に向かって進んでいることを彼らは知っているのでしょうか?

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