「『天皇陛下バンザイ』といって死んだのだから、天皇がヤスクニ神社を参拝するのは当然だ」という人がいます.
お金の神様・福沢諭吉も同じ内容のことをいっていました.
日清戦争(1984-1985)のときです.
「財産を擲(なげう)つはもちろん、老少(ろうしょう.老人も子供も)の別なく切死(きりじに)して、人の種の尽(つ)きるまでも戦うの覚悟」が必要である.(1884年「日本臣民の覚悟」福沢諭吉全集 第14巻)
この考え方の基礎には、「学問のすすめ」(1872-1876)があります.
「国のためには財を失うのみならず、一命をもなげうちて惜(お)しむに足ら」(ないと考えることが必要である)
「学問のすすめ」は、「最終的には300万人以上売れたとされ、時の日本の人口が3000万人程であったから実に10人に1人が読んだことになる」(ウィキペディア)
この思想が「日清戦争」「日露戦争」「太平洋戦争にいたるアジア侵略戦争」を準備し、2007年の今なお10000円札の肖像としてほとんどの人が目にする宣伝がなされています.
諭吉は、創刊・発行した新聞「時事新報」でその思想を展開し、同時に「戦争のニュース」で発行部数をのばし、「金」を手にいれました.「諭吉は『お金の神様』」という表現は正確であるというべきです.
この「お金の神様」は、国民をだまして戦争に押しやり、その過程で「金」を手に入れるために、天皇と宗教を利用しました.
諭吉は、「天皇は『愚民(バカな国民)を篭絡するの(だますための)一欺術(ひとつのサギ的な手段』」という考え方があるといっています(1884年「帝室論」全集第5巻).
この「帝室論」は、東宮教育係を務めた小泉信三が皇太子(現在の天皇)の教育のために使用したものです.(小泉信三 『ジョオジ五世伝と帝室論』 文藝春秋、1989年)
諭吉は、また「馬鹿(バカ)と片輪(カタワ)に宗教、丁度(ちょうど)よき取合せ」ともいっています(1881年「宗教の説」全集第20巻).
この「宗教の説」は、ちょうどヤスクニ神社ができたころ(1881年)のものです.
「国や天皇のために財産を出し、命を捨てること」が必要であり、そのために戦死した者はヤスクニ神社に祭られるので、安心して死になさい.その間にわたしはお「金」をもうけるよ.
まさに、「お金の神様」としてふさわしい考え方です.
2007年11月8日木曜日
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