2007年10月21日日曜日

上野の駅から 九段まで


「馬鹿と片輪(かたわ)に宗教、丁度よき取り合わせ」

福沢諭吉全集にある表現です(原文のまま.慶応義塾編・福沢諭吉全集 第20巻232頁「宗教の説」).

これは、支配者・利権者が宗教を利用して人々をだますケースを指摘したものです. 丁度靖国神社が作られたころの文章です(1881年ごろ).


美空ひばりは、1943年(太平洋戦争開始の2年前)に、7歳でした. 彼女は父の入隊にあたり、「九段の母」を歌いました.

上野の駅から 九段まで
杖をたよりに 一日がかり
せがれきたぞや 会いにきた

空をつくよな 大鳥居
こんな立派な おやしろに
母は泣けます うれしさに

息子を亡くした老婆は、悲しむのではなく、うれし泣きに泣いたのです(表向きにでしょうか?) 

このような母子に対して、明治いらい「国のために(実は利権者のために)命をおとすことを『愛国心』とした教育・宣伝」がなされ、靖国神社が「宗教」として利用されてきたのです.

その宣伝のために、7歳の子どもまでが結果として利用されました.


靖国神社には、二百数十万人の「国のために命をおとした人々」が「神」として名前を書き込まれています.二百数十万人を「神」とした「国」は、アジアで二千万人、ドイツ、イタリアと組んで世界全体では数千万人の命を奪いました.

ドイツは、長い時間をかけて政治的・道徳的・経済的に被害を与えた国々との和解を達成しました. イタリアは、最近、正義のないアメリカのイラク侵略戦争に否定的な政権をつくりました. 日本では21世紀の現在でも、死者と宗教を利用して、先の戦争の正当化がおこなわれ、米国の世界戦略のために憲法9条改正の動きがあります.

死者を真に哀悼するには、「戦争のない世界」をめざす以外にはありません.

「戦争のない世界」にだけ、人類と地球環境の未来があるのです.


その保証は、日本国憲法第9条です.

日本は、9条を守ってこそ人類に貢献することができ、国際社会から理解と尊敬を受けることができます.

それが、死者を真に哀悼する道です.

(福沢諭吉は、そのように考えなかったからこそ、一万円札の肖像として、お金の神様になったのです!?)

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