2007年11月5日月曜日

国歌斉唱を拒否して着席、北海道文化賞受賞者

北海道文化賞贈賞式で、壇上にいた受賞者の1人とその夫人が、国歌斉唱の際いったん起立したものの、国旗に背を向けたまま自席に着席し斉唱に参加しないという一幕があったそうです(産経ニュース 2007.11.5)

式典後、この受賞者は「先の戦争で多くの仲間が特攻隊として死んでいった。とても立って(国歌を)歌う気になれない」と語ったそうです.

この受賞者がそういったのか、さらには特攻隊員以外の人たちの死にも「君が代」が利用されたことを指摘したのか、産経ニュースではわかりません.

多くの特攻隊員が死んでいっただけではなく、アジアで2000万人、日本で300万人以上の生命を奪った戦争が、「君が代」「日の丸」のもとでおこなわれたことを知って、「君が代」や「日の丸」が国歌・国旗として不適当だと考えるは多いのです.

それを行動におこすことには勇気が必要ですが、戦争に反対し、平和を求めることが死者をとむらうことでもあり、次世代の子供たちのためでもあります.

密室談合による「国際平和協力の原則」?!

小沢代表は、民主党代表の辞意表明にあたり、福田首相が「国際平和活動に関する自衛隊の派遣について、『国連安全保障理事会もしくは国連総会の決議によって設立、あるいは認められた国連活動への参加』に限る」とする見解を示し、これを“政策転換”と受け止め、「政策協議開始に値する」と判断した、としています.

小沢代表は、「テロ特措法」での海上自衛隊の給油は「米国の戦争」への協力であり、「憲法違反」であるから「反対」といっていました.

その一方、密室談合によって、福田首相と憲法違反を恒久化する「恒久法」についての合意をしていたのです.

日本は、国連参加にあたって、「日本が持つ全力をあげて、国連の理想と目的の達成に協力する」ことを宣誓し、それを認められて国連の参加が実現したのです.これが、日本の国際公約です.

「日本が持つ全力」の中には、「憲法9条」も入ります.
憲法は、日本がアジアで2000万人以上の犠牲を与えた戦争の反省の上につくられました.

安倍前首相のように、この前の戦争が正しかったとして、憲法9条を変えようとする人たちもいます.これは、特攻隊員やその家族をも含め、戦争の犠牲となった人たちの命と、生死をかけて戦争に反対した人たちの努力を無駄にするものです.

「日本は、『憲法9条』を守り、国連の理想と目的の実現に協力する」 ─ これが、戦争の反省であり、国連加盟での日本の国際公約であり、国際社会が認めた日本の国連参加の条件です.        

日本は、まさに「紛争の平和的解決」を主張することが、「国際平和協力の原則」であるべきです.

福田首相と小沢代表は、政治家としての資格も、日本人としての資格もないというべきです.                        

2007年11月2日金曜日

年金照合:3月終了は困難…誤入力数百万件

「年金記録の誤入力が数百万件あり、照合の3月終了は困難」と毎日新聞は伝えています.

3月終了が安倍前首相の公約でした.
升添厚生労働大臣も、それを守るといっていました.

それが、ウソであることがはっきりしたのです.

安倍前首相のイイカゲンさも、相当なものですが、タレント・国際政治学者の升添厚労相も同じ程度でないことを希望します.

2007年11月1日木曜日

「歴代社保長官に最大の責任」?

総務省の「年金記録問題検証委員会」は31日、「歴代の社会保険庁の長官や幹部職員の責任が最も重い」などとした最終報告書をまとめました(読売新聞).

社会保険庁の長官や幹部職員の責任が重いことは当然ですが、年金は「もう1つの税収」として、戦費調達のために戦争中につくられた制度です.その戦争中の精神をひきついできた戦後の歴代政府に最大の責任があると思います.

「年金を払うのは先のことだから、今のうち、どんどん使ってしまっても構わない」
「将来みんなに支払う時に金が払えなくなったら賦課式にしてしまえばいいのだから、それまでの間にせっせと使ってしまえ」

これが、1942年に年金法ができたときの実務責任者の考え方でした(後に本人が証言し、第159回国会 予算委員会でも取り上げられています.
http://www.office-onoduka.com/mag2/005_20070304.html
http://iiyu.asablo.jp/blog/2007/07/19/1665500

この年金を「戦費と利権のもととして使う」戦前の考え方は、「憲法を軽視・無視・否定」する戦後の政治の中で温存されてきました.そのことこそが、国民にとって最大の問題なのだと思います.

2007年10月30日火曜日

広重も[お金」にこまっていた

広重といえば、北斎についで日本の代表的な画家の一人.
その広重も、芸術家らしく(?)、お金に困っていた.
朝日新聞が伝えています.

広重の窮状、版元が助ける 絵の裏に「庶民金融」の記録

2007年10月29日17時18分

 江戸時代の浮世絵師歌川広重(1797~1858)が金に困った際に、出版業者たちが庶民金融である無尽講で助けていた――。東京・原宿の太田記念美術館が所蔵する広重の「江戸名所写生帖(ちょう)」に使われた紙の裏に書かれた記録から、当時のこんな実態が明らかになった。広重の暮らしぶりや、絵師と版元との関係がわかる貴重な史料だ。11月1日から同館で開かれる「肉筆広重展」に出品される。

(写真)

「江戸名所写生帖」からみつかった頼母子講の記録。右下に「講元 歌川広重」とある

 「江戸名所写生帖」は、広重の晩年にあたる1856年ごろに描かれた写生を集めたもの。今回、展覧会にあたって写生帖を解体したところ、紙の裏に、無尽講の一種である頼母子(たのもし)講と相続講の記録があるのが見つかった。この記録によると、頼母子講は広重の「東海道」シリーズなどを出版した蔦屋吉蔵が世話人となり、広重を含む大手版元ら21人がそれぞれ1両ずつ掛け金を出し合う形で開かれた。初めに集められた金は広重が受け取り、以後20回にわたって、くじで当たった版元に順次融通されたとみられる。記録されていた干支(えと)などから、1850年に開かれたらしい。

 その前年、広重は家を新築移転しているが、その資金として札差しから100両を借りたという話が広重の家に伝わっていた。また、広重の遺言には、居宅を売って、借金を返済するよう書かれており、晩年は家計が苦しかったようだ。

 調査をした同館の奥田敦子主任学芸員は「頼母子講の金は、新居の資金にあてられた可能性が高い。版元としても売れっ子絵師との関係を深め、版元同士の交流を深める意味もあったのでは」と見る。

 無尽講は江戸時代、庶民の相互扶助の金融として流行した。広重は講を記録した帳面を写生帖に再利用したらしい。

2007年10月29日月曜日

守屋喚問を前に

前官房長官・現首相(福田康夫氏)や、前防衛庁長官・現防衛大臣に、“アメリカ側に問い合わせしたら、日本は二十万ガロンしか給油していない”と回答させた人物(守屋氏)の証人喚問を前に、産経ニュースはつぎのように伝えています.

 防衛省の幹部は力なく話した.「自分たちが土日返上で働いていた時も、次官は遊んでいた」「自らを律することができない人間は、本来は次官なんかにはならないはず。そういう人物を生んだ組織にも責任があるのかもしれない」と.

この幹部のいうように、その「『人物』が問題で、そういう『人物』を生んだ組織にも責任がある」のは確かです.

しかし、「自衛のため」という「説明」で「戦力」を持たないことを規定した憲法の軽視・無視を継続してきた政治そのもの、戦後も生き続け、日本を支配してきた戦前政治の流れそのものがそのような人物を生んだのだと思います.

まもなく、本日1時からその人物の証人喚問が始まります.

2007年10月28日日曜日

「最後の晩餐」160億画素の高解像度でネット公開

 イタリア・ルネサンスの代表的芸術家レオナルド・ダビンチの壁画「最後の晩餐」が、160億画素という非常に高い解像度の画像で28日までにインターネット上で公開された。1000万画素のデジタルカメラによる画像の1600倍の鮮明さだという。AP通信などが伝えた。

 最後の晩餐は15世紀、ミラノにあるサンタマリアデレグラツィエ教会の食堂の壁に描かれたフレスコ画。1999年に20年以上にわたる修復作業が完了した。

 美術専門家によると、公開された高解像度画像は、作品から数センチの至近距離で鑑賞するような精密さで、ダビンチが彩色する前のデッサンの痕跡まで見分けることができる。絵画の劣化が進んでいる様子もうかがえるという。

 最後の晩餐は年間30万人以上が世界中から鑑賞に訪れるが、鑑賞時間は15分に限られている。(共同)

 「最後の晩餐」1000万画素(回線速度・モニターの解像度・メモリーの容量により見え方が変わります)